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    ★ kyokyonetが綴る"トルニタラナイ"あれこれ ★
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さぞかし、映りの悪いビジョンなんだろうな。今は…

ちょっと行政単位の大きさの違いはあるけど、
教育のビジョンについて

教育基本法の改正に関して ↓

産経 06年09月17日 社説

神奈川県の教育ビジョンについて ↓

神奈川新聞 06年09月17日 社説

教育の問題は戦後だけの要素で成り立っているわけじゃないと
最近つくづく思う。

基礎学力の問題はずっと課題に上がっているし
受験問題(試験の在り様とかね)も試験、考査の問題から
その本質は同じ課題に直面してると思う。

例えば、内申書の信頼度の話とかもそうで、
知識偏重、学歴、順位、そういうものの加熱に対応しようと
平素の考査を重視しようと画策するのにうまく機能しないとか…ね。

教科書だって検定→国定、戦後を経て検定に。。。

家庭、地域、学校の連携は明治の行政府だって声高に言ってる。

確かに、ファシズム期を経て、戦後CIEの指導の下
大きく舵を取り直したわけだけど、
実は、日本の教育の根本問題は戦前から引っ張ってる感も
捨てきれないと…思う。

行政にそこまで振り返れよとはいえないわけだから、
一般の人にそこまで考えようといってもそんな暇ないのだから
そういう部分から、新しいオルタナティブを練るのが
学者の役目なのかもしれないなぁと、ふっとおもったり。

教育基本法って変える必要あんのかな。

その前に義務教育制度、中高・高大接続の問題や、
教員養成、高等教育機関の使命を洗いなおすべきだと僕は思うけど。
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